特撮映画の神様がつくった豊臣大坂城
映画・テレビに登場する天守は、現存や復興の「別の」天守を「堂々と」画面に映し出すことが日常茶飯事であって、これは映画の誕生以来、百年以上もまかり通っています。
例えば姫路城天守で「江戸城」と字幕を打つカットなど、かの『暴れん坊将軍』の旧作でお見かけしたりすると、ある種の “爽快感” も漂うほどです。
でも、2、3日前に時代劇専門チャンネルで見かけたNHK大河『おんな太閤記』(1981年放送)では、秀吉の長浜城を、岡山城天守の妙な仰角アングルでこなしていたら、次に、その岡山城のシーンが来てしまい、やむなく松江城天守で「岡山城」と字幕を打っていました。
その時の、現場のスタッフの狼狽ぶりが目に浮かぶようです。
さて、当ブログがこだわる豊臣時代の大坂城も、映画やテレビにさんざん登場してきましたが、そうした中で「さすがは!!」と感じ入った1本が、三船敏郎主演の東宝映画『大坂城物語』(1961年公開)です。
映画の冒頭シーンからタイトルバックが、豊臣大坂城の威容を見せつける移動ショットで、終盤クライマックスの砲撃で櫓の壁が崩れるシーンなど、みごとなミニチュアセットの特撮で表現されています。
この映画、特技監督はあの円谷英二(つぶらやえいじ/1901-1970)であり、つまりは、ゴジラを創造した “特撮映画の神様” が手がけた豊臣大坂城なのです。
時期的には、円谷監督60歳の時の仕事で、前年には傑作『ガス人間第一号』、同じ年には日本映画初の海外同時公開『モスラ』、翌年には東宝30周年記念『キングコング対ゴジラ』公開という、東宝特撮映画の黄金期につくられた映画です。
そして写真でご覧のとおり、この大坂城天守の造形は、まぎれもなく故・櫻井成廣先生の復元案を忠実になぞっています。
(※エントリ記事「大坂城に七色の天守はあったか?」ご参照下さい。ただし円谷監督は、櫻井先生の復元案にある屋根の色については、さすがにそのままは採用できなかったようで、普通の土瓦で屋根を葺いています。)
また映画のクライマックスでは、櫻井先生が復元に苦心された千畳敷御殿も、みごとな仕上がりで登場し、二階部分から「炎上」しています。
なお余談ながら、この円谷監督の豊臣大坂城は、市川染五郎(現・松本幸四郎)主演『士魂魔道 大龍巻』(宝塚映画/1964年公開)という作品でも、まったく同じミニチュアセットのシーンが登場します。
こちらも特技監督に「円谷英二」の名がクレジットされるのですが、映画を見続けても、それ以外に特撮シーンが一つも見当たらないまま物語は進み、ラストになって、びっくり仰天の “大特撮シーン” が現れ、筋立てがドンデン返しを食らうという、かなり破天荒なストーリー展開の作品です。
(※失礼! 両作品とも映画本編は名匠・稲垣浩監督の作品です。)
こちらは『大坂城物語』とは制作年度が違うため、きっと豊臣大坂城のシーンは、撮影済みのフィルムを、両巨匠(稲垣&円谷コンビ)の一存で、制作会社の違いも乗り越えて「使い回した」のではないでしょうか??
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