映画に登場した天主「心柱」の失われた?歴史
城郭ファンの間で話題の映画『火天の城』は、安土城天主の大工棟梁・岡部又右衛門を主人公にしているためか、物語の展開には、巨大な通柱(とおしばしら)が重要な役割を担っています。
この天守を貫く大規模な通柱、昔の堂塔時代の言葉で「心柱」と言えるほどの通柱をもった天守は、かろうじて確認できる数から言っても、姫路城や岡崎城などごくわずかで、完全に少数派に陥っています。
姫路城天守の東西2本の「大柱」(右写真は4階内部)
(宮上茂隆『国華』第999号「安土城天主の復原とその史料について(下)」)
天守に、太い通柱を使っているよい例は姫路城天守であるが、ここでは天守平面中央部に、東西に並んで二本の太い通柱が立っている。
それらの根本における長径は、三尺余もあり、安土城天主の通柱より、はるかに太い。
それは、ここの通柱が二本しかないこと、地階から最上階(六階。安土と同じ階数)床下まで六階分を貫き十二間余(約八十二尺)もあること、姫路城天守内部は仕切が少なく従って柱数が少ないこと、などが原因して、大断面を必要としたものと考えられる。
このように姫路城では「大柱」と呼ばれますが、安土城の場合は「本柱」と呼ばれたようで、長さ(高さ)は8間と伝わります。
(尊経閣文庫蔵『安土日記』より)
… 柱数二百四本 本柱長さ八間
本柱ふとさ一尺五寸四方 六尺四方 一尺三寸四方木
また天主全体の高さは「十六間々中」(16間半)と記されていて、となると、「本柱」はその何重目まで貫いていたのか? という問題が浮上して来ます。
その点、当サイトの『天守指図』新解釈では、「四重目」の図がまるごと池上右平の “加筆” ではないかと考えているため、「本柱」の上端については何も情報が無いことになります。
そこで、姫路城天守の例を引用してみますと、各階の階高は2間前後であり、これと同様の規模と考えるならば、「本柱」8間でやはり4階分、つまり五重目の床下まで達していた、とすることが出来ます。
図のグリーンの領域は、天主中心部に構築された「高さ12間余の蔵」のうち、「本柱」とともに建ち上がった四重目までの「蔵」の範囲を示してみたものです。
この上に、これまでの記事でご説明してきた五重目・六重目の吹き抜けが重なり、その上に七重目が載っていた、としますと、おそらく次のような構造になるのでしょう。
ご覧のように「高さ12間余の蔵」とは、一重目~四重目の階層的な「蔵」と、五重目・六重目の吹き抜けまで、を合算したものではないかと思われるのです。
そしてここで留意すべきは「12間余」という数値でしょう。
(前出の宮上茂隆先生の論考より)
地階から最上階床下まで六階分を貫き十二間余(約八十二尺)もあること
なんと「十二間余」は、安土城も、姫路城も(最上階床下までの数値として!)思わぬ一致を示していて、ひょっとすると数値が踏襲されたのかもしれない…
ここに何か、草創期の天守の “失われた心柱の歴史” が垣間見えるようなのです。
(次回に続く)