まるで動物園!?安土城天主の木像群
『2009緊急リポート』では “黒漆で塗られた柱や床、そして金色の障壁画で、すべての居室空間が統一されていたはず” などと申し上げましたが、安土城天主の内部については、もう一つ、注目すべき特徴があるため、今回はその点を少々補足いたします。
『耶蘇会士 日本通信』(村上直次郎訳)
七階を有し、其室数甚だ多ければ、先頃信長も此家の中にては迷ふべしと言へり、其道を知るべき標識は多種の木像なり。
このように宣教師が報告した、天主内部の「多種の木像」とは、どういうものだったのでしょう?
数多くの部屋の中から、目指す部屋に迷わずに行けるように、例えば、それらは “方角” を示したものではなかったか…… という風に常識的に考えれば、それらは「十二支の木像」だったとするのが、ごく自然な解釈のように思われます。
十二支と方位
十二支はご承知のとおり、当時の人々にとって、年や時刻だけでなく、方位を示す記号としても日常的に馴染みのあったものです。
そしてその木像が、天主内部にどのように設置されたかを想像してみますと、まず「木像」と書かれている点で、類似の例として、神社仏閣の軒下に彫刻された獅子や獏(ばく)などの彩色像が思い当たります。
これらは木鼻を彫刻・彩色したもので、もとより頭の上の位置にありますから、例えば、こうした類いが建物内の廊下の長押上(柱)などに突出して取り付けられたとすれば、とりたてて通行の邪魔にはなりませんし、遠くからも良く見えたことでしょう。
ではその状況を、仮に『天守指図』の二重目で考えてみますと…
このように南側(図では上)の二重目入口付近から、東側を通って北側に回り込む廊下に沿って、巳(蛇/へび)辰(龍/りゅう)卯(兎/うさぎ)寅(虎/とら)丑(牛/うし)子(鼠/ねずみ)亥(猪/いのしし)という風に、計7種の木像が、柱の上部に並んでいた可能性がありそうです。
それらはきっと、見るからに壮観で、忘れられない印象を残したのではないでしょうか。また、こうした目印があれば、黒漆で統一された居室空間も、迷わずに歩くことが出来たのかもしれません。
かくして、大胆不敵な木像群がずらっと並んでいた上に、各部屋の障壁画には、様々な生き物も描かれていたわけで、図にそれらを書き加えますと…
信長自身の御座を含む南西奥の各部屋には、金地の襖絵に鵞鳥(がちょう)や雉(きじ)の親子が描かれ、棚には鳩(はと)の絵があって、このような空間にもし現代人が足を踏み入れたなら、「ここはバーチャルな動物園か」とつぶやきかねない状況です。
これも織田信長という人物と、住居としての安土城天主の、ユニークな一面を物語る特徴だと言わざるをえません。