織田信長の「隠し部屋」を発見!?
まるで動物園? 居並ぶ十二支の木像と鳥の画
前回、安土城天主の十二支の木像をご紹介するなかで、『天守指図』二重目の部屋の配置にも話が及んだため、いっそこの機会に、他の各部屋がどのように配置されるのかも、ご覧いただこうと思います。
その過程で、織田信長の重要な「隠し部屋」の存在が浮上するのです。
新解釈『天主指図』二重目/当てはめた文献上の各部屋
『信長記』『信長公記』類はそれぞれ微妙な差異がありますが、天主二重目の主な相違点は、「雉(きじ)の子を愛する」絵がある四畳敷と、「御棚に鳩」の絵がある四畳敷は、同じ部屋なのかどうか、という点になります。
上の図は、その点について、同じ部屋のこととする『安土日記』に基づきながら、ただし「十七てう敷」は他の『信長記』類のように「十畳敷」が正しい、という方針に沿って各部屋を当てはめてみたものです。
尊経閣文庫蔵『安土日記』(二重目の記述/この文献では六重目と表記)
… 六重目
十二畳敷 墨絵ニ梅之御絵を被遊候
同間内御書院有 是ニ遠寺晩鐘景気被書 まへに盆山被置也
次四てう敷 雉の子を愛する所
御棚ニ鳩計かゝせられ
又十二てう敷ニ鵞をかゝせられ鵞の間と申也
又其次八畳敷唐之儒者達をかゝせられ
南又十二てう敷
又八てう敷
東十二畳敷
御縁六てう敷
次三てう敷
其次八てう敷御膳を拵申所
又其次八畳敷御膳拵申所
六てう敷御納戸
又六畳敷 何も御絵所金也
北之方御土蔵有
其次御座敷廿六畳敷御なんと也
西六てう敷
次十七てう敷
又其次十畳敷
同十二畳敷
御なんとの数七ツ
此下ニ金灯爐つらせられ候 …
このなかで文献と『天守指図』の描写が合わない部屋が一つあり、それは天主本体の東寄り(図で左寄り)の階段に接したカギ型の六畳間三つのうち、一番南側(図では上)の部屋は階段の上になり、実際は文献どおりの八畳間(「次八畳」)だったと思われる点です。(図は修正済み)
そもそも二部屋にまたがる階段スペースというのは、他の天守や櫓にも例の無い形ですし、これはやはり池上右平の “加筆” ではないかと疑われる部分です。
また北東隅(図では左下)の階段も同様でしょう。(修正済み)
さて、このように当てはめてみて、妙な形で残ってしまった(つまり村井貞勝らが拝見しなかった疑いのある)部分が、南西奥(右上)の角に小さく突き出た部屋であり、ここはいったい何なのか… という疑問が浮上します。
信長の「隠し部屋」が二重目の最奥に??
この場所は、信長の御座と思われる「雉の子を愛する」絵の四畳敷の、さらに奥に位置していて、その間が柱と間仕切りで画されているため、普段はまさに「雉と子」の板絵等で隠されていた可能性がありそうなのです。
そしてそれは、全体の配置から見ますと「上段」「上々段」であった疑いが濃厚でしょう。
昔主殿の図(『匠明』)と仙台城大広間
ご覧のように、この場所は「上段」「上々段」が相応しく、「上々段」は言うまでもなく天皇の御座を意味した場合が考えられます。
そんな「上段」「上々段」が、安土城天主のなかで普段は隠され、信長はそれを重臣の村井貞勝らに見せなかった可能性がある、ということは、いったい何を物語っているのでしょうか。
ご覧のように、この周辺は、梅の間の「御書院」「まへに盆山」(信長の化身とされた石)がごく間近にあった可能性を踏まえれば、安土城天主のなかでもトップシークレットに位置づけられた空間のようなのです。