日: 2010年6月1日

ドンジョンvs天守!こんなに違う翻訳語どうし


ドンジョンvs天守!こんなに違う翻訳語どうし

「死の色」「神の色」で塗りくるめた巨塔としての、姫路城天守

織田信長が初めて高層化させた天守は、特に安土城ではその「白さ」ゆえに、人々に強い違和感を与えたのではないか、と申し上げました。

では、そうした天守を外国人・宣教師らはどう見たのでしょうか?

『フロイス日本史』では、「彼ら(日本人)がテンシュと呼ぶ一種の塔」と伝え、「塔」とするだけで、それ以上に具体的な欧州の建築等になぞらえて “翻訳” してはいない点が、この上なく重要だと思われます。

その理由を探りつつ、天守とは何だったのか、「翻訳語」の観点から迫ってみましょう。
 
 
この件はいつか書かねばならないと思っていた話題であり、先日も、NHK『トラッド・ジャパン』で「城」を取り上げた回があり、この番組は日本の魅力をどう英語で表現するかが毎回のテーマですが、番組中で再三再四、天守をDonjon (ドンジョン)と翻訳していました。

近年、世間ではさすがに、天守をDonjonと訳すケースはずいぶん減ったように感じていただけに、こういう事が身近であると、どうにも気になります。

ロシュ城(フランス)のDonjonと付設の土牢内部

欧州の城郭で領主が立て篭もる主塔がある場合、ネットで海外のサイト等を見るかぎり、それは一般の人々にはDonjonと呼ばれているようです。
(※Keepと書くのは専門書だけではないでしょうか?)

Donjon(やKeep)は、領主が人質や罪人を押し込めるため、塔の地階に土牢を造るケースが多かったことから、Dungeon(ダンジョン/土牢)という派生語を生じたと言われています。

Dungeonはたいがい、小さな扉を閉じると真っ暗闇になり、囚人は鎖につながれたまま、斜めの石敷きに横たわり、排泄物はたれ流しで、食糧が入れられる瞬間以外は、真っ暗闇でただ月日の経過を耐えるしかない、という地獄のような閉所でした。

したがって元々のDonjon自体にも、そうした暗いニュアンスがつきまとい、またDonjonにはそれなりに期待される機能や構造的な特徴がちゃんとありました。
 
 
ですから、遠目に日本の天守Tenshuに似ているとしても、実際は全くの別物であり、同じ「城の主塔」であっても、建物としての特性がまるで違うのです。

もちろん天守台の石蔵(穴倉)が「土牢」として使われた例など、聞いたこともなく、文献上でも一件も確認されていないと思います。

石蔵(穴倉)の用途は、以前の記事に書きましたように、安土城天主では「硝石蔵」であったと考えられ、その後の天守でも「焔硝蔵」か「保存食庫」であって、そのために湿気を防ぐような丁寧な石敷きを施した例もあります。

逆を申しますと、殆どの天守台の穴倉は「土間」もしくは「板の間」ですから、もしそこに囚人を押し込めたなら、その者が中でどんな “破壊活動” !! を企てるか、心配になって仕方がないでしょう。
 
 
で、これほどまでに違うのに、何故、いつから、天守をDonjonと翻訳するようになったのか…

不覚にも私は、そうした書物などを具体的につかめておりませんで、そこで現状のままでも出来る作業として、Donjon vs Tenshuという比較を、とりわけ「地階」の構造と役割を中心に行ってみます。
 

Donjon     vs     Tenshu
    ロチェスター城           姫路城      
 
 

イギリスのロチェスター城は、建物中心部の木造の床や屋根が失われていますが、その部分を見下ろすと、一番下の地階が密閉された空間だったことが分かります。

一方の姫路城天守の地階は、南東側(表側)だけが石垣に隠れた構造であって、この階全体に板敷きの床があり、そこから上階へと階段で登れるようになっていて、とても「人質」を押し込めるような機能は想定されていないのです。
 

Donjon     vs     Tenshu
ロンドン塔           小田原城
 

ロンドン塔のホワイトタワーも、ロチェスター城と同じ四角いサイコロ形の「スクエアキープ」に分類される主塔ですが、やはり地階が密閉された構造のため、人々は2階から入る形になっています。

これはもちろん緊急時に階段をはずして、敵の侵入を防ぎ、領主一族(王家)が立て篭もるための工夫でしょうが、一方、小田原城天守は、往時も現状の復興天守と同じく、長大な石段で天守台を登りつめ、そのまま建物に入るだけの構造でした。

つまり「天守台」とは、立て篭もるための「かさ上げ」ではないのであって、なにより中国古来の建築的な格式を示すための「台」である、という根本的な違いがあります。

しかもこの小田原城の天守台は、石蔵(穴倉)の無いタイプで、いかに使おうとも土牢Dungeonには不向きな構造なのです。
 

Donjon     vs     Tenshu
    ヴァンセンヌ城          宇和島城     
 

そしてDonjon vs Tenshuは、そもそも領主の避難所なのか否か、という点でも決定的に違っています。

フランスのヴァンセンヌ城は、シャトーと書かれる場合があるにも関わらず、城の一部に専用の堀と回廊を廻らし、その中にDonjonがそびえています。

やはり地階は密閉された空間で、その上に橋を渡って入る1階、王の居室がある2階、見張り役が詰める3階、という厳重すぎるほどの構えです。
 
 
一方、宇和島城の天守Tenshuは、ご覧のように開放的な玄関を備え、天守自体は本丸内にポツンと孤立して建っています。

これが完成した頃、すでに城主の居所は本丸にさえ無く、城主は一生のうちに幾度か、儀式のおりにしか天守に登りませんでした。

つまり主の使用頻度を挙げれば、DonjonTenshuは 比べようも無いほどの差があるのです。
 
 
こうなりますと、Donjonという建物の由来も考慮して比較すべきでしょう。

例えば「キープ」KeepのウィキペディアWikipedia英語版を見ますと、KeepDonjonの関係が示されています。

A keep is a strong central tower which is used as a dungeon or a fortress. Often, the keep is the most defended area of a castle, and as such may form the main habitation area, or contain important stores such as the armoury, food, and the main water well, which would ensure survival during a siege.
An earlier word for a keep, still used for some medieval monuments, especially in France, is donjon; a derivative word is dungeon. In Germany, this type of structure commonly is referred to as Bergfried, and in Spanish as torre del homenaje.

(翻訳)
キープは土牢や要塞として使われる堅固な中央の塔である。多くの場合、キープは居住空間をはじめ、篭城戦に備えた武器庫、食糧庫、井戸から成る、城内で最も防御されたエリアである。キープは中世において、フランスではドンジョンと呼ばれ、ここからダンジョンという派生語が生じた。同様のものがドイツではベルクフリート、スペインではトーレ・デル・オメナヘと呼ばれた。
 
 
こうした書き方に沿って「天守」を独自に英文で説明するならば…

Tenshu is a unique Japanese-style castle tower, was not used as a dungeon. It was built by samurai warrior, who succeeded in the reunification of Japan in the second half of the Age of Discovery.

Ten written with kanji, means firmament and reign. So if you read literally, Tenshu is a tower, which protects firmament and reign.

(翻訳)
天守は、日本固有の様式の主塔で、土牢としては使われなかった。それは大航海時代の後半、日本の再統一に成功したサムライの居城に建てられた。

漢字の「天」は天空や治世を意味する。したがって文字どおりに読めば、「天守」とは天空や治世を守る塔なのである。
 
 
とでもなるはすで、こう説明されれば、欧米人の誰もが「それはdonjonではない! そんな大事なことを、どうして説明して来なかったのか ―――」と問い掛けて来るでしょう。

この場合、天守が「天主」「殿守」「殿主」とも書かれたことをネグっていますので、厳密には正しい紹介文ではないのかもしれませんが、天守の建造物としての特色は簡潔に言い表していると思います。

要は、天守が日本固有の建造物であることを、どうアピールすべきかが喫緊の課題であって、断じてdonjonと同じ物ではありえない、という主張がまず不可欠でしょう。

日本は今後、観光立国を目指すのだそうですが、その中でいやおうなく観光地の目玉の一つになる「天守」が、現状のような理解(翻訳)のされ方のままで、より多くの外国人に紹介されるのは 実に情けない限りです。

我々がいま目指すべき方向は、卑屈な翻訳で自己規制してしまうのではなく、天守Tenshuが少なくとも日本固有の意味を持ったキープkeepとして、ドンジョンdonjonやベルクフリートBergfried、トーレ・デル・オメナヘtorre del homenajeと同列か、それ以上の扱いで、世界で語られる状況を作ることにあるはずです。

違うでしょうか?
 

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