日: 2011年12月6日

水軍大将・菅達長は黄金天守を仰ぎ見すぎたのか



水軍大将・菅達長(かん みちなが)は黄金天守を仰ぎ見すぎたのか

今回は、当ブログが累計40万アクセスを越えました御礼を申し上げるとともに、2011年度リポートの準備を進めるなかで初めて気づいた一件をお話させていただこうと思います。

と申しますのは、豊臣秀吉の黄金天守の姿が、ある武将の心に深く根をおろしたために、老齢にも関わらず彼を決死の行動に駆り立てたのではないか… と思われる節を見つけたからです。
 
 
 
<菅流水軍の祖・菅達長の城「岩屋城」とは>
 
 
 
ふつう「岩屋城」と言いますと、歴史ファンの多くが北九州の岩屋城… かの猛将・高橋紹運(じょううん)が島津の大軍に抵抗して玉砕した城を思われるでしょうが、今回の話題の城は、淡路島の北端にあった岩屋城です。

この城は、戦国末期の淡路島に割拠した「淡路十人衆」の一人で、島の北岸から東岸の水軍を率いていた菅平右衛門達長(かん へいえもん みちなが)の拠点の一つでした。
 
 
そして大坂湾一帯で織田信長と毛利輝元の覇権争いが激化すると、達長は十人衆の中でただ一人、毛利方について奮戦したそうです。
が、そんな淡路島の攻防も、天正九年、織田方の羽柴秀吉と池田之助の軍勢が上陸すると、たった一日で島内は掃討されてしまいます。

達長は逃亡し、その後も城を奪回すべく、長宗我部元親の弟(香宗我部親康)の与力になるなどして戦を続けたものの、再び豊臣秀吉の四国攻めが起こると、ついに長宗我部氏と共に秀吉の軍門に下りました。
 
 
しかしそれ以降は、秀吉麾下の水軍として一隊を率い、九州攻め、小田原攻め、朝鮮出兵と出陣し、朝鮮出兵では舟奉行の一人に加えられたと云います。

岩屋で1万石(後に四国伊予で1万5千石)を領することを許され、達長が創始した水軍の術は「菅流」と称して後世に伝えられました。

豊臣大名の居城(天守)配置/慶長3年 1598年当時…秀吉死去の年

(※新人物往来社『日本史総覧』所収「豊臣時代大名表」を参考に作成)

さて、そんな達長の岩屋城ですが、ご覧のとおり大坂湾をグルリと取り囲んだ豊臣大名の居城(天守)群の中にあって、小城ながらも、淡路島から明石海峡を監視するという重要な役目を担っていたことが分かります。

この時期はおそらく近世の岩屋城ではなく、戦国期以来の岩屋城を使っていたものと思われますが、この岩屋城あたりからも海の向こうの豊臣大坂城はよく見えたことでしょう。
 
 
フロイスは「とりわけ天守閣は遠くから望見できる建物で大いなる華麗さと宏壮さを誇示していた」(『完訳フロイス日本史』)と書いていますから、ひょっとすると晴れた日の夕刻には、西陽を照り返して強烈に輝く天守が臨めたのかもしれません。

いずれにせよ、これは達長に対する秀吉の全幅の信頼をうかがわせる居城配置だったと思うのですが、慶長3年、秀吉が死去すると、達長は秀吉の遺品として名刀「長光の太刀」を受け取ったとされています。

そして天下分け目の関ヶ原合戦では、達長はやはり西軍に属したため、所領は没収。辛くも朝鮮出兵の時に同じ船手の将だった藤堂高虎の嘆願で救われ、高虎の城下で蟄居し、破格の五千石で仕える身となったそうです。
 
 
やがて運命の大坂の陣―――。達長はすでに相当な老齢に達していたようですが、冬の陣が終わり、有名な「外堀・内堀の埋め立て」工事の現場で、ひとつの事件が起きました。

達長らは藤堂高虎の埋め立て分の作業を担当したものの、「内堀まで埋めてしまおう」という徳川幕府の謀略に嫌気がさしたのか(はたまた豊臣方に肩入れしたのか)作業をボイコットして現場に出ず、見回りにきた高虎を激怒させました。

この時、高虎は達長を「腰抜け」と罵倒したようです。
それに対して、達長は「悪言を吐きてこたへり、あまつさえ既に公(高虎)に切り掛からんとの風情なり」(『公室年譜略』高山公巻之七)との行動に出たのでした。

達長の悪言とは「私の腰の抜けたるをいつ御覧ありし」だったとも伝わっていて、達長としては “どちらが腰抜けなのか” という鬱憤(うっぷん)もあったのかもしれませんが、達長はこの件で即座に切腹を命じられました。

(※事件の経緯はサイト「辛酉夜話」様がたいへん詳しく、参考にさせて戴きました)

切腹は、埋め立てが終了した三日後だったと云います。

今日では、達長の行動は古武士の気骨を示したもの、などと語られるようですが、ついに達長に「悪言」を吐かせたのは、岩屋城から日々眺め続けた、金色の城への憧憬だったように思われてならないのです。

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