日: 2017年12月1日

当サイト復元の駿府城天守の「銅瓦」屋根について

当サイト復元の駿府城天守の「銅瓦」屋根について

(『モンタヌス日本誌』の大坂城天守 → 実は駿府城天守?の紹介文より)
… 第一第二の屋背は石を以て葺き、第三第四は鉛、第五は銅、第六は金の瓦なり。

そこで我田引水ながら、当サイトの復元案ですと…

ご覧の写真とイラストは前回記事のラストでご覧いただいたものですが、この中では、当サイト復元案の方の「第五は銅」という部分は、おそらく皆様には唐突の感があり、補足の説明が必要だったのではないでしょうか。

これは要するに、当サイト復元案の「銅瓦」屋根の配置に関することで、この件は本来ならば、2013-2014年度リポートをアップした直後にお話しようと思っていた事柄なのですが、当時、たまたまそうした話題を盛り込める記事が無くなってしまい(→大和郡山城の天守台の発掘成果の話があって)チャンスをのがし、ずるずると今日まで話しそびれてしまった話題です。

この拡大イラストでもお分かりのように、当サイト案は、最上層の屋根と、上から二層目の据(すえ)唐破風(※置(おき)唐破風ともいう)が「銅瓦」葺きであったという想定で描きました。

今回の記事ではこれをさらに、当時のブログ記事でもお目にかけた「屋根や破風の略図」を再利用しつつ、新たに「銅瓦」部分を黄緑色(ウグイス色)に変えて分かりやすくご覧いただきますと…

このような想定で上記イラスト等を作成したわけですが、この想定は理由もなく行なった事柄ではなくて、ちゃんと駿府城天守の文献記録に基づいた解釈によるものでした。すなわち…

(一例:『当代記』此殿守模様之事より/※以下の行替えは当ブログの便宜的なものです)

元段  十間 十二間 但し七尺間 四方落 椽あり
二之段 同十間 十二間 同間 四方有 欄干
三之段 腰屋根瓦 同十間 十二間 同間
四之段 八間十間 同間 腰屋根 破風 鬼板 何も白鑞
    懸魚銀 ひれ同 さかわ同銀 釘隠同
五之段 六間八間  腰屋根 唐破風 鬼板何も白鑞
    懸魚 鰭 さか輪釘隠何も銀
六之段 五間六間  屋根 破風 鬼板白鑞
    懸魚 ひれ さか輪釘隠銀
物見之段 天井組入 屋根銅を以葺之 軒瓦滅金
     破風銅 懸魚銀 ひれ銀 筋黄金 破風之さか輪銀
     釘隠銀 鴟吻黄金 熨斗板 逆輪同黄金 鬼板拾黄金

これらのうち、下から二行目の「破風銅 懸魚銀 ひれ銀 筋黄金 破風之さか輪銀」の部分が、申し上げた「据唐破風」についての情報であろう、との解釈の上に立ったものであります。

では何故、この部分が「据唐破風」を示すのかと申しますと、これまで二行目の「破風銅」は、諸先生方の復元案の多くにおいては、最上層屋根の「軒(のき)唐破風」のことであると解釈されて来ました。

(そこでもう一度ご覧いただきますと…)

物見之段 天井組入 屋根銅を以葺之 軒瓦滅金
      破風銅 懸魚銀 ひれ銀 筋黄金 破風之さか輪銀
      釘隠銀 鴟吻黄金 熨斗板 逆輪同黄金 鬼板拾黄金

ところが、この記録文をよくよく見ますと、「物見之段」一行目の「天井組入 屋根銅を以葺之 軒瓦滅金」の部分で「屋根銅を以葺之(屋根、銅をもってこれを葺く)」という風に屋根の材質を示しておきながら、次の二行目でも再び「破風銅」と重ねて材質を表記しているのは、屋根と一体化した軒唐破風であれば、ちょっと変だな… と感じざるをえません。

例えば『当代記』や『慶長政事録』『創業記考異』など同種の駿府城天守の記録文はみな同様になっておりますが、同じ材質であれば、四之段も五之段も六之段も「腰屋根 破風 鬼板 何(いずれ)も白鑞(はくろう)」という風に“まとめて表記”しているわけでして、そういう書き方に反して、物見之段だけが、わざわざ「屋根銅を以葺之」+「破風銅」と重ねて材質を表記してあるのです。

この不思議な書き方が意味するものは何か?と考えれば、二行目「破風銅」の破風というのは、実は最上層屋根と一体化した「軒唐破風」ではなくて、屋根とは別途に設けた「破風」→例えば最上階にも含まれるように見えた下階の大きな「据唐破風」を示そうとした工夫に違いない、と考えた次第なのです。

かくして、以上のような想定のもとに、冒頭イラストの「第五は銅」という『モンタヌス日本誌』の大坂城天守の記録が、なぜか駿府城天守にぴったり当てはまる、との可能性を前回記事で申し上げたわけです。

――― で、ことほど左様に、駿府城天守をめぐっては、他にもドン・ロドリゴの『日本見聞録』など、外国人の記録にやや意外なことが書かれていたり、さらには、先ほど申し上げた『当代記』『慶長政事録』『創業記考異』など駿府城天守の同種の記録文のほかに、ちょっと変わった記録が『武徳編年集成』にあることが知られています。

『武徳編年集成』の記録は、ほかと同じ七階建ての駿府城天守でありながら、各階の平面形がずいぶんと違っていたり、屋根が白鑞(はくろう)葺きなのか、銅瓦葺きなのか、よく分からない書き方になっていたり、全部の階に欄干がめぐっていた(!?)と書くなど、けっこう不思議な内容になっております。

ところが、その不思議な内容も、見方をガラリと変えて、建物の構造を組み立てて行きますと、アッと驚く意外な「姿」が見えて来まして、次回はその話を、引き続きご披露してみたいと思います。

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