高精度VR安土城“コンペ落ち企画書”より もう時効でしょうから記事にいたしますと…


高精度VR安土城 “コンペ落ち企画書” より もう時効でしょうから記事にいたしますと…

3月30日 VR安土城プロジェクト「高精度シアター型」完成報告会
(※これらの写真は 彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)様よりの引用で、他にも多数あり)


かねてから話題のVR安土城(近江八幡市制作)は「高精度シアター型」が完成したそうで、ご覧の内藤昌先生の復元に基づく天主をはじめ、安土城下の高精度の再現映像が、先月末に公開試写されました。
 
 
実を申せば、かく申す私なんぞも、滋賀県のITコンサル企業・株式会社ナユタの北居様からお声をかけていただきまして、微力ながら、この映像制作のコンペに参画した経緯があったものの、結局は大手の凸版印刷さんが受注されました。

私はまだ完成映像そのものを観てはおりませんが、上記ブログの写真を拝見しますと、これまでにない角度からの迫力映像があるようで、出来栄えが期待できそうです。
 
 
で、完全に負け犬の遠吠えですが、コンペ落ちした企画書の私の元原稿には、完成映像には無い観点(アイデア)もあって、それがこのまま埋もれてしまうのはどうにももったいなく、そこで今回の記事は「立体的御殿」の話題を中断して、ちょっとだけ申し上げてみたいと思うのです。

例えば…

有名な盂蘭盆会(うらぼんえ)のシーン
/ 完成映像は「軒先に」提灯をつっているようですが…

さて、私がナユタ版の企画書のために送付した元原稿でも、当然、織田信長が安土で行った盂蘭盆会はラストシーンとして盛り込みましたが、では、いったいどういう風にして、強風吹きすさぶ可能性のある(琵琶湖畔の安土山頂の)天主外側に提灯(ちょうちん)を固定できたのか?… という点に、かなりの疑問を感じました。

(※私の乏しい経験の中でも、佐和山城の山頂でけっこうな「突風」を浴びた記憶があります…)

完成映像は『信長公記』のごく短い文言を優先させた結果と思われますが、一方、当日の現場を目撃した宣教師らの『フロイス日本史』を読みますと、私の疑問を解くヒントがちゃんと書かれていて、その記述に基づいて、私の元原稿はこんな書き方で、もっともっと派手に光り輝いたのではないかと考えたのです。
 
 
【元原稿からの抜粋】

そしてVR映像のラスト、幻想的な盂蘭盆会のシーンですが、実はここにもちょっとした安土城の謎があります。
記録では色とりどりの豪華な提灯で天主を飾った、とあるのですが、天主の窓は堅格子が入った武者窓であり、いったいどこに提灯をつったのか?
フロイスは「七階層を取り巻く縁側」に飾ったと記しています。
しかも信長はこの日のために10日間以上も一行を足止めして待たせました。
ということは、この時、天主は臨時の縁側(足場)でぐるりと取り巻かれていたのかもしれません。

 

ご参考) 内藤先生の復元による安土城天主の模型
/ 各階層の外側に(通常は)縁側の類いは無い…


ご参考) 織田信長も楽しんだという尾張の津島天王祭
/ 現在の様子と歌川広重の浮世絵(ウィキペディアより)



※各々の船に半円形に飾り付ける提灯は365個! !(1年をあらわす)

【松田毅一『完訳フロイス日本史』の該当部分】

例年ならば家臣たちはすべて各自の家の前で火を焚き、信長の城では何も焚かない習わしであったが、同夜はまったく反対のことが行われた。
すなわち信長は、いかなる家臣も家の前で火を焚くことを禁じ、彼だけが、色とりどりの豪華な美しい提燈で上の天守閣を飾らせた。
七階層を取り巻く縁側のこととて、それは高く聳え立ち、無数の提燈の群は、まるで上(空)で燃えているように見え、鮮やかな景観を呈していた。

 
 
この「七階層を取り巻く縁側」というのは、安土城天主の全階層に「縁側」があったとはどうにも思えませんので、やはり “臨時の足場” を、十日間で組み付けたと考えるのが自然ではないでしょうか。

そこに提灯を設置したならば、強風の件も、また当日の点火の件も、すんなりと解決の目途がつくはずです。

(※例えば完成映像の場合、点火はどうするのでしょう?? 電灯スイッチ式の提灯ではなかったのですし、窓には堅格子も!…)
 
 
そしていっそう重要なポイントとして、盂蘭盆会(お盆)に提灯となれば、それらは当然のこと、年に一度、先祖の霊を迎え入れるために焚く「迎え火」を意味したのでしょう。

ですから、ご承知のとおり「暦(こよみ)」の問題と信長は、色々と取りざたされている関係にありますので、ひょっとしてひょっとすると、安土城天主は太陽暦(=グレゴリオ暦)の日数 365個の提灯で! 完ぺきに取り巻かれていたのではあるまいか……

こんな仮説の部分は自治体制作の映像には盛り込めませんでしょうが、こうした妄想をたくましくしますと、安土のこの年の盂蘭盆会が、はるかヨーロッパのキリスト教国に(※グレゴリオ暦の普及が進むさなかに)伝えられたことは、これまた信長の、説明なき快挙、であったようにも感じられてしまうわけなのです。

安土城天主が夜空にまばゆく光り輝いた姿は、信長が、
地球の裏側に打ち返したシグナルだったのか

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