えええっ。イシバって、そこまで“悪どい”の ! !?…
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【 冒頭余談の追々記 】 自民党の参院選「大敗」総括で。 与党を率いて重要な選挙で三連敗しても、何の責任も取らない。 これでは「無責任」暗黒政治の到来である。…ほくそ笑む“偽装”自民党支持層の、醜悪な顔も見えて来た。
見るからに“フツーの日本人ら”が、何千人も集まって、
「石破やめろ」と叫んだ。8月31日 東京&大阪
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【 ついに空前絶後の、奇妙キテレツな生き物が、日本国民の目の前に 】
この亀、大事な場面で居眠りするのに、一貫して総理の座にしがみつくことだけが唯一の目的になっている…… ということは、この亀、公務の日(ほぼ毎日)には「精神安定剤をガブ飲みしてるんじゃないのか」と思えて来てならないのですが。
この亀が発した名言は(色々な意味で)「新聞を信じてはなりません」かも。
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【 追記 】…実際には誰一人として目撃者がいない、すべてが伝聞ばかりの“大虐殺”という虚構にあふれた「南京事件」=軍服を脱ぎ捨てたゲリラ兵に対する日本軍の掃討作戦を、一般の南京市民に対する残虐行為のオンパレードとして描いた新作映画「南京写真館(南京照相館)」が、いま中国国内で大ヒットしているらしい。
これは、中国経済が破綻(はたん)し、国内統治が危機に直面しつつある共産党政府が、あの「天安門事件後の愛国教育=反日教育」をふたたび繰り返そうとしている策謀…という風にしか、私には見えません。これは日本側が抗議すべき事態でしょう。何故なら共産党政府は「反日教育は成功した。うまく行った」と考えているからに他なりません。
( → → 今のチャイナは、あの天安門事件後に匹敵する状況、ということなのか… )
死屍累々。若者らの銃殺を命じた鄧小平と、日本の選挙三連敗という現役世代の民意を“殺しまくる”しがみつき亀イシバとは、保身の点で、どれだけの違いがあるのでしょう。 …………
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< とてつもない大発見の駿府城絵図の、
天守台上の《本当の大発見》
と言わざるをえない箇所は >
さてさて、前回の記事は徳川家康の江戸城(慶長度)天守の「D案」を申し上げようとした途中の段階ですが、この度、とてつもない報道が流れて、全国の城郭ファンの気持ちをわしづかみにしている最中ですので、ここは当サイトとしても、是が非でも指摘しておきたい《本当の大発見》がこの図中に介在しているため、急きょ、この件でお話をさせていただきます。
で、ニュースの大筋は皆様よくご存じのことでしょうから、詳しく繰り返すのは止めにしまして、早速、私なんぞが注目した《本当の大発見》の方に話を進めますと、この山梨市の藤原義久さん所有の絵図には、天守台上の建物等の配置がかなり詳しく描かれているのですが、そもそものところ……
ということであり、そこで私なんぞが真っ先に目をつけてしまったのは、下記のごとく赤く表示させていただいた部分でして、何故なら、これこそ、私なんぞが駿府城の天守台に対して抱く「興味」のど真ん中に、グサグサッと突き刺さる物証の類い!?と言えそうな描写だからです。
前述のとおりこの絵図には、水堀などから立ち上がる「石垣面」はいっさい描かれていないわけですから、天守台だけに石垣面の描写がある、と考えるのは誠に不自然きわまりない発想でしょうし、また小天守台との接続部分にもこの赤い表示箇所が続いていた可能性がある以上は、これは石垣面ではなくて、何か別のスペースが、ぐるっと天守台上のへりを廻っていたのだ!…と考えざるをえない事態なのではないでしょうか。
では、これはいったい何なのか、と考えてまいりますと、その場所から言って、真っ先に思い当たるものとして、下記の有名な絵図に示された「天守台上の石塁」に該当するのかもしれません。……
駿府城御本丸御天主台跡之図(静岡県立中央図書館蔵)/天守台上には石塁が廻っていた
ええっ? では、家康の時代、駿府城の天守台は石塁の内側に!多聞櫓の類いが全部、収まっていたのか!?…と耳を(目を)疑われる方がほとんどでしょうし、そんなことは信じられない、とのご感想も多いことでしょうから、真相はどうなのか、他の絵図と突き合わせることから、それを探ってみましょう。
その際に第一の検討材料になるのは、やはり下記の有名な絵図の、天守を取り巻いた「黒い」何か、になるのではないでしょうか。
大日本報徳社蔵『駿州府中御城図』の天守周辺/天守のまわりを“何か”が取り巻いている
この「黒い」何かとの関連性をさぐる上では、ちょうど、当サイトの2013-2014年度リポートにおいて、現地の発掘調査で判明した天守台のひしゃげた形と、静岡県立中央図書館蔵の『駿府城御本丸御天主台跡之図』に書かれた寸法とを照らし合わせて描いたイラストが、黒い何かとの関係において、たいへん面白い現象を示すことを申し上げました。
このように天守台の縁を合わせるように調整してみますと、10間×12間の広さが、黒い何かのうちの天守台の広さと、みごとに「合致」したのです。 つまりこの黒い何かは、かなり正確に描かれたものだと推測できるわけですが、その一方で、今回の新発見の絵図を(正対した状態で)ほぼ同じ大きさで表示いたしますと…
ただし、この新発見の絵図はどういうわけか、小天守台のあたりが(※現地の発掘調査の結果と比較しても)異様に南北の方向が長く描かれていまして、そのため、その部分だけ、南北(縦)を6割程度に縮めて表示しなおしてみます。
という風になりまして、それでは、いよいよ、これと前出の年度リポートのダブり絵図とを、重ねてご覧いただくことにしましょう。
――― ご覧のような結果になりまして、これをよくよくご覧いただきますと、新発見の絵図の天守は、現実の比率から申せば、異様なほどに「ひかえめに」小さく描かれていることが判明いたします。
そしてその一方で、例の黒い何かは、新発見の絵図の多聞櫓?や石塁スペース?を足し合わせた範囲に、ほぼピッタリで、該当するようなのです。
そこで問題の石塁スペース?を、もっと分かり易く、赤く塗りなおしますと…
といった結果になり、ここで試しに、新発見の絵図の方を“抜き去って”みれば、ここまでの検討の結果がもっとハッキリいたします。
!――― ということで、ここまでご覧いただいたとおり、冒頭から申し上げている「赤い表示部分」というのは、まさに天守台上の「石塁そのもの」に他ならないのだ…との結論が確認された形になりまして、以上の事柄を総合しますと、今回の新発見の絵図によって、
<<天守台上の「石塁」は、実は、家康時代は“むき出し”になっていて>>
<<その石塁の内側に隠れるように!?多聞櫓等は配置されていた>>
という、ビックリするような、城郭ファンの方々の常識をも突き崩しかねない、驚きの可能性が見えて来た…… と申し上げざるをえない状態なのです。
< 巨大な駿府城天守台というのは、実は、
「砲撃戦の全盛時代」に備えた“構え”の天守台
だったのではないのか…… >
【 ご参考 】米国のサムター要塞の解説用イラストより
さて、ご覧のサムター要塞は、アメリカの南北戦争を語るうえで欠かせない存在の要塞でしたが、ご覧のような構造になっておりまして、駿府城の天守台とは時代も国籍もてんで違う事例ですから、まことに恐悦至極の参考例ではあるものの、砲撃戦が厳しくなればなるほど、人間がこうした発想に至るのは洋の東西を問わない共通原理なのでは?…と思いまして、ここに挙げさせていただきました。
つまり、敵方からの砲撃を浴びることを覚悟した「要塞」であれば、それはまず、反撃用の砲台をしかるべき位置に配置しつつ、弾薬庫は城壁・石塁・土塁等の「中を」削り込んで配置し、そのうえで、兵たちの居住スペースは、その城壁・石塁・土塁等の「内側に」へばりつくように配置するのが、言わば、人間の共通原理、のように思えてならないのです。
そこで、思い切ったことを申し上げますと…
( 新発見の絵図を“深読み”した、当サイト独自の推定図 )
巨大な駿府城天守台というのは、実は「砲撃戦の全盛時代」に備えた“構え”の天守台だったのではないのか…。
当サイトは2013-2014年度リポートにおいて、初重が10間×12間と記録された天守に対して、“あまりにも巨大すぎる天守台”の解釈をめぐって、歴代の諸先生方が七転八倒してきた研究の歩みをご紹介しましたが、今回の新発見の絵図は、その七転八倒に対して、ひとつの解答をもたらしてくれる、まさに歴史的な大発見なのではないでしょうか。
そこで上記の推定図では、石塁の内側にぐるっと建て込んだ多聞櫓を想定し、三方または四方の隅には、櫓というよりも「砲台」の前駆的な構築物があったものと考え、なおかつ天守台上には石狭間を並べ、それでもやはり、政治的な象徴として「天守」は掲げざるをえなかった、という姿を描いてみました。
こうした意味では、当サイトの年度リポートや天守画イラストも、若干の間違いを犯していたことが判明したわけでありまして、早速、天守画イラストは訂正版の方を考えたいとは思うものの、それにしても、年度リポートで注目していた八木清勝先生の、
「天守の二階に高欄を設けたのは、二階からの眺望を得るためと思われる」「二階からの眺望を妨げる、多聞櫓のような高さ二十尺(約六メートル)を超える桁行の長い建物は建てられなかったと思われる」(『城』第四巻2000年刊より)
との指摘に間違いは無かった、と言えそうな状況が見えて来たのは、実に喜ばしいことと感じています。
しかし、それより何より、ここで最大限に強調すべきポイントとしては、後々の幕末の「五稜郭」にも通じるような築城手法が、すでにこの駿府城天守台において、250年以上も早く試みられていた―――という点になるのではないでしょうか。
(※ご覧の写真は、サイト「今は旅行が趣味です」様からの画像引用です)
→ → だからこそ、とてつもない大発見、と申し上げた根拠が、この図中に隠れています。
(※次回に続く)
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