<<黄金は太陽の色>>と再認識させた?豊臣秀吉の色彩戦術

<<黄金は太陽の色>>と再認識させた? 豊臣秀吉の色彩戦術

またもや、ちょっと長い余談から始まって恐縮ですが―――
一昨年、裁判所に護送された際の韓国の前大統領・朴槿恵(パク クネ)

ご覧の写真の当時、韓国では大統領の交代は武力「革命」と同じなんだなぁ… と改めて感じいるとともに、新登場の左翼の大統領・文在寅(ムン・ジェイン)などは、どうせ一、二年で行きづまるに違いないと予測したのは、朴槿恵(パク クネ)弾劾の真の原因が「経済の低迷」だと感じたからでした。

そんな予測どおーりに、経済オンチの失政続きと活動家仲間のスキャンダル等で馬脚をあらわした文(ムン)政権は、経済破綻のベネズエラのマドゥーロ大統領に続くのか? との勢いで韓国民の支持を失いつつあり、またもや韓国お得意の <政権が困ったときの反日カード> を空前絶後の規模で大展開中です。

そこで私なりの勝手な結論を言わせていただくと、韓国はいいかげん大統領制に見切りをつけて、新たに、李氏朝鮮王の末裔をまとめ上げて「立憲君主制」で再出発をはかった方が、はるかに明るい未来を描けるのではないかと、心底から思うのですが、どうなのでしょうか。
 
 
(※追記:言い換えるなら、韓国民に「大統領制」は無理なのでは?… と感じられてならないわけで、建国以来、何十年間もずっと、臨時代行以外は、ほとんどの「前大統領」を牢獄かあの世に送り込んできた国というのは、世界でも異様で 異常な国でしょうし、そもそもの原因は第二次大戦後、そんな朝鮮民族をよく知らないまま、アメリカが李承晩(り しょうばん)を初代大統領にすえたことなのでしょう。ですから韓国に大統領制が続くかぎり、もしくは大統領制の韓国が北朝鮮に呑み込まれて「消滅」でもしないかぎり、「反日」は永遠に無くならないと感じます。※→ 約束をやぶるのは朝飯前の政治体制なのです。で、残る第三の手としては、この際、李氏朝鮮の伝統=朋党の争いという実態は忘れて、名誉としての伝統だけでも取りもどせるなら―――)
 
 
「正統性」という観点で言えば、戦後の歴代大統領は当然ながら、北の金日成(キム・イルソン)・正日(ジョンイル)・正恩(ジョンウン)三代の親子も小物(こもの)に見えるほどの「正統性」を取り戻せるはずでしょう。
――― いや、それだけは絶対にいやだ、(カッコ付きの)「民主化」は断固 ゆずらない、となおも革命気分で言い張るのなら、結局は、朝鮮戦争時に実現しなかった「赤化統一」に近づくだけでしょうし、それでは韓国の戦後の70年間は、まったくの無駄(むだ)であった、と自ら認める結果にもなります。

【ご参考】

ハングル文字を作った名君・世宗を描いたミステリードラマ「根の深い木」
演じるは、映画「シュリ」の主演でもなつかしいハン・ソッキュ

李氏朝鮮王の家系は、日韓併合時代には日本の王公族として遇された。
そんな李王家の当主の座をめぐって、係争中の二人(※李王家は分裂状態)
左:第30代当主の李源 / 右:叔母の李海瑗
2月24日で御年100歳!!…

冒頭からの写真3枚を見比べますと、とりわけ朴槿恵(パク クネ)の手にかかっている手錠!! に着目するなら、ご覧の四人の違いは何なのだろうか… という思いを強くせざるをえません。

そこで、そろそろ今回の本題に入りますと…
 
 
 
<<黄金は太陽の色>>と再認識させた? 豊臣秀吉の色彩戦術
 
 

青天の日の朝日をあびて、最高度に輝く、五重塔の「相輪」

ご覧の高幡不動(東京・日野市)の五重塔は、私がいつも電車の乗り換え時間にホームから眺めている五重塔ですが、てっぺんの金色の相輪は、その日の天気や時間帯(=太陽の高さや方角、すなわち光の差し込む角度、と光の色温度)によって、「金色」の見え方が、驚くほど変わって見えることを経験的に知っております。

同じ金色なのに、刻々と変わる七変化でありまして、このことを少しでもご理解いただきたく、いちばん強く輝く晴天の日の正面からの朝日と、今にも雨が降り出しそうな曇天の夕方とを、写真に撮って比べてみました。

左:同日のクローズアップ / 右:曇天の日の夕方
<まさに、金色は太陽光を照りかえす色>

ご覧のとおり、とても同じ金色とは思えない変わりようでして、あたかも、金色とは「太陽のうつし鏡」のような色であり、「太陽光を照り返すための色」であると言い換えてもいいのではないでしょうか。

そこで今回の記事は、そんなかねてからの興味から発して、前回の「天守の解けない謎」の第二弾として、どうして豊臣秀吉は黄金づくしにこだわったのか? という、誰もが当たり前のことと思って、もはや理由や発端を問い正さない問題を、取り上げてみたいと思うのです。



まずは試しに、以前に興味深く読んだ山室恭子著『黄金太閤』1992年を例にとって、秀吉が黄金にこだわった「理由」を改めて探してみますと、本の中盤あたりで…

(同書より)

都と鄙(ひな)との双方を舞台に、華麗なパレード・金銀のばらまきなどの派手な行動で衆目を集めつつ、周到に計算された演出と巧みな情報操作を武器に、着々と自己の存在感を人々の心に植え付けていく、そんな豊太閤の姿を見つめてきた。
(中略)
秀吉の演じた舞台を観てきて、いちばん強烈に印象に残るのは、何と言っても彼の富裕さである。金銀に光り輝く軍隊のきらびやかな行進、聚楽の庭で金銀を秀吉の手から押しいただく武将たち、あるいは黄金の茶室、などなどあらゆる場面で彼の豪奢さが披露され、黄金のまばゆさが目を射る。
 
 
といった文章があり、山室先生はこれ以降の各章で、黄金のまばゆさの裏側のカラクリをあばいて行くのですが、ともかくも「なぜ黄金か?」の答えとしては「富裕さ」「豪奢さ」という指摘になっております。

おそらくはこれが、日本人のほぼ100%の方々が賛同する受けとめ方なのでしょうが、しかし一方で、当時の外国人の記録には、やや違う見方があったことを記すものがあり、1689年にジャン・クラセ Jean Crasset が編纂した『日本西教史』(太政官翻係訳/1880年刊行版)には、金箔瓦の大坂城が次のごとく表現されています。
 
 
此都会ニ於テ 歎美ス可キ建造ノ城砦及ヒ優美ナル邸殿ヲ建設シ
其瓦ハ総テ消金シタルモノニシテ 世人ノ説ニ之ヲ譬(タト)ヘテ
地ノ太陽ハ 殆ト天ノ太陽ヲ暗クスルト言ヘル如ク 光輝爛々タル者ナリ

 
 
ご覧の文章は当サイトがたいへんに注目してきた一文ですが、これは「消金(けしきん)」=粉状の金箔を使った金箔瓦の効果で、「地の太陽は殆ど天の太陽を暗くする」とまで「世人」=当時の日本人の誰かが大坂城を「地上の太陽」と例えるほどの「光輝さ」だった、という記録文です。

これはとりもなおさず「金色(こんじき)は太陽の色」という認識の仕方が、秀吉の時代に、ちゃんと存在していた証拠になるのではないでしょうか。

――― そもそも、太陽の色って何色?と問えば、白地に赤の日章旗になじんだ現代の我々は「真っ赤な太陽」と答えて当たり前のようですが、実のところ、昔の日本人は、太陽を「金色」と見ていたようなのです。!…

【ご参考】

キトラ古墳の天井天文図(模写)より/右端が「日像」=金箔で太陽を表現した

高松塚古墳の壁画より/東壁の「日像」と青龍 やはり金箔で太陽を表現

このことは、さらにウィキペディア「日本の国旗」を参照しますと…

第42代文武天皇の即位以来、宮中の重要儀式では三足烏(さんそくう=ヤタガラス)をかたどった銅烏幢に日月を象徴する日像幢と月像幢を伴って飾っていたことが知られるが、神宮文庫の『文安御即位調度之図』(文安元年記録)の写本からは、この日像幢が丸い金銅の地に赤く烏を描いたものであったことが確認されている。また世俗的にも『平家物語』などの記述などからも平安時代末期の頃までの「日輪」の表現は通常「赤地に金丸」であったと考えられている。

などとあって、事はなかなかに重大でありまして、「金色こそ太陽の色」という感覚は、「真っ赤な太陽」よりも歴史の古い、日本古来の色彩感覚なのだと考えざるをえないようです。

で、秀吉と太陽という観点で申せば、秀吉は母の大政所が胎内に「日輪」が入った夢を見て妊娠し、誕生したという話(日輪の子)は、小瀬甫庵の『太閤記』によるものですから、本人の主張かどうかも分かりませんが、あえて申すまでもなく「日本」…日の本という我が国の 国号 の由来を考えれば、天下統一に向かう秀吉の意識に何が芽ばえていたか、そして「唐入り」を言明して朝鮮出兵に向かう秀吉に、何が必要だったかは、自明の理というものでしょう。

八幡信仰の発祥地、宇佐神宮・本殿の三つの社

これまで当サイトは、<秀吉の大坂城天守は軍神「八幡神」の神紋で荘厳された> との大胆仮説を申し上げ、大坂城天守を「対 朝鮮」というキーワードでとらえて来ましたが、今回申し上げたごとく、色彩の「金色」の方を注視するならば、さらに「対 中国」のキーワードも 兼ねていたのではないのか!?… という反省(猛省)を迫られるのかもしれません。

当時、日本列島で金銀の産出が増えたのは事実のようですし、それを秀吉が「金配り」の実弾等で利用したのも事実でしょうが、それらとは別個に、並行した政策として、秀吉と政権の「色彩戦術」があったように感じられてならないのです。

ですから、なんと、秀吉は自身の周囲に「太陽の色」をまとっていたのだ… となれば、「黄金関白」の解釈には見直しが生じるのかもしれませんし、その後は、秀吉の人物像を「金キラキンの派手好み」とは言いづらくなる事態もありうるのではないでしょうか。…
 

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