近代的な意味の「国家」という二文字を創り出したのは日本人

近代的な意味の「国家」という二文字を創り出したのは 日本人

『ウルトラQ』(地底超特急西へ)に登場した人工生命・M1号


な、何を始めるのか?… とおっしゃらずに少々お付き合いいただきますと、もう還暦(かんれき)に近い私が、子供時分に見た映像の中で、いまでも ゾッとする気分になるのが、ご覧の『ウルトラQ』の有名なシーンでありまして、むしろ年齢とともに恐ろしさの度合いが高まってきたような気もいたします。

ご存知でない世代の方に説明しますと、空想特撮シリーズ『ウルトラQ』第10話「地底超特急西へ」は、東京-北九州間を突っ走る超特急「いなづま号」に、小型の高圧ボンベに封じ込まれた人工生命M1号がまちがって積み込まれ、そしてショックでボンベから噴き出したM1号は、急速な細胞分裂でゴリラのような巨体に成長し、超特急の運転席を「占拠」してしまいます。

ところがM1号は二歳児程度の知能しかないため、東京の指令センターからの問いかけにも「アブアブ、アブアブ」としか答えず、超特急は猛スピードで終点の北九州駅へ突進していく… というストーリーでした。

そんな空恐ろしいストーリーを、21世紀の日本人はもう一度、見せられているのではないかと思えて来るのが、他ならぬ隣国・韓国の文(ムン)政権のありようでしょう。

――― 聞けば、文(ムン)政権は、韓国の耀かしい驚異的な経済発展「漢江(ハンガン)の奇跡」を、国定の教科書から消し去ってしまった! のだそうで、その発展の原資になった日本からの巨額の資金や技術支援を含めて、戦前・戦後の保守政治の成果はすべて「無かったこと」にする政策「積弊清算(せきへいせいさん)」を推進しています。

そのような教育を受けた世代が、今後、確実に、次の韓国民として育っていくわけですから、人工生命M1号の恐怖は終わるはずがなく、M1号が運転席を「占拠」し続けるかぎり、何をやっても無駄で、たとえ甘い言葉であやしても、むしろ喜んでスピードを上げてしまうのかもしれません。

(※7/10追記 → 日本製品不買運動も、実は文(ムン)政権が命じた「官製デモ」
(※7/13追記 → 文(ムン)がついに言ってしまった!「李舜臣は12隻で国を守った」完ぺきに「反日」に頼ってしまうのが、韓国の歴代大統領の “断末魔の叫び” になることは、歴史的に証明された事柄でしょう…

ですから、まずは、暴走する超特急の「危険性」をハッキリさせることが最優先の手立てでしょうし、結局のところ、韓国民が前大統領を追い落とした「ろうそく革命」のような熱狂に走ったあとは、ろくな結果が待っていない…… ということを、隣国の我々は、しっかりと記憶にきざんでおく必要があるのではないでしょうか。
 
 
かくして、今回のブログ記事はまたもや「余談の余談」を申し上げたいのですが、中心テーマは <国家> という漢字二文字の発祥についてです。
 

韓国映画「国家不渡りの日」:原題「국가부도의 날(クッカブドエ・ナル)」

さて、ご覧のポスターは、1997年のアジア通貨危機で韓国経済が急激に悪化し、IMF(国際通貨基金)の救済を受けた事件をもとにした映画で、昨年末に韓国で公開されて大ヒットしましたが、邦題の「国家不渡りの日」は「국가부도의 날(クッカブドエ・ナル)」の直訳であり、よくよく見れば両方の「音」がそっくりなのに、改めて驚くばかりです。!…

 国家 不渡り の 日
 クッカ ブド エ ナル

これはまさしく、明治維新後に日本人が生み出した「国家」「不渡り」といった欧米由来の概念の漢字表記が、その後、日韓併合時代に朝鮮半島に伝わった結果でありまして、こうした日本語由来の韓国語「日本式漢字語和製漢語)」は、彼らの日常会話のなかに山ほど(近代的な言葉の70~80%とも!)存在することが知られています。

となれば、文(ムン)政権の「積弊清算」が完全実行されたアカツキには、韓国人はまともに日常会話が出来なくなってしまうのは確実であり、もはや古代人のような会話しか出来ず、笑い話にもならない状態です。
→ ですから「積弊清算」の完全実施をせまって、言葉をぜんぶ返せ! ! と言ってやるのがイイのかもしれません。

…… で、それはともかくとして、今回の記事で是非ご注目をいただきたいのは、「国家」という漢字二文字は、どのようにして始まったか?という、今や日本人のほとんどが意識していない(→ 否、もう意識しなくても良くなった?)重要な二文字の由来です。

そしてこの話でご紹介すべきは、他ならぬ、岡田英弘先生でしょう。
 

東洋史学者の岡田英弘(おかだ ひでひろ/1931―2017)

(※写真はサイト「サマースクール2010写真集」様からのトリミングです)

(『岡田英弘著作集Ⅰ― 歴史とは何か』より)

国家というものは、あまり起源の古いものではない。
まして人類の歴史の初めから国家があったわけではない。「国家」という漢字の組み合わせは、すでに紀元二世紀の後漢の時代の漢文文献に現れるが、その時代の宮廷の用語では、「国家」は皇帝個人を指す、口語的な言い方だった。
もともと漢字の「国」の本来の意味は「城壁をめぐらした都市」である。日本語の「国家」の意味はない。

(中略)
この、もともと皇帝の別名であった「国家」を、十九世紀になって、英語の「ステイト(state)」、フランス語の「エタ(état)」、ドイツ語の「シュタート(Staat)」の 訳語 として採用したのは、明治時代の日本人であった。
現代中国語で「グオジア」と発音される「国家」は、この日本語から借用したものである。

 
 
!!―― ご覧の岡田英弘先生と言えば、「三国時代に漢民族は激減し、ほぼ絶滅した」との “直球発言” で歴史ファンに強烈な印象を残しつつ、それでいて、中国・習近平政権の事実上のナンバー2、王岐山(おう きざん)副主席が岡田先生の著書を高く評価していた、という意外なエピソードでも知られた先生でした。

その一方で、台湾の李登輝元総統とのツーショットが表紙になった著書も

そんな岡田先生が「国家」という二文字について、<<どこの国語にも本来、国家を表わす言葉はない。「国家」という言葉は十九世紀の日本人が、英語のstate、フランス語のétat、ドイツ語のStaatの 訳語 としてつくったものである>>(同書より)と断言されたのですから、これは傾聴せずに居られません。

そしてその造語の動機は、我が国の「明治維新」に先立つ世界的な大事件にあり、すなわちフランス革命こそ、「国家」という概念が人類史上初めて必要になった契機なのだとしておられます。

(同書より)

王をギロチンにかけて首を切ってしまい、王制を廃止したのだから、旧王領にしてみれば、今は亡き王に義理を立てて、一つにまとまっている理由はなくなったわけである。
そこで革命の成果 ―― つまり市民が乗っ取った王の財産 ―― の空中分解を防ぐために、王の代わりに、旧王領の新しい所有者として、「フランス国民」というものが考え出され、国民(ナシオン)が国家(エタ)を所有するということになった。
こうして国民主権の国家 ―― 国民国家というイデオロギー、つまり民主主義(デモクラシー)が新しく発明された。これが「国家」の起源である。

(中略)
そして同じ十九世紀に開国した日本でも、シナの古典にそんなものを表わす熟字がないので、「皇帝」の意味の「国家」をステイトに当て、「都市の住民」の意味の「国民」を「ネイション」に当てることにした。
 
 
! ということで、明治維新を果たした日本人は、封建制を廃してつくる新たな国の姿… état エタや state ステイトにあたるものを、漢字でどう表現すればいいか(=国民に分かりやすく理解させるか)という命題に取り組んで、「国家」の二文字を選び出したのでした。 しかも…

(さらに同書より)

フランスに国民国家が誕生すると、その連鎖反応で、国民国家という政治形態は、十九世紀のうちに西ヨーロッパだけでなく、全世界に普及することになった。
その原因はナポレオンの国民軍の成功である。ナポレオンが軍事の天才だったことに加えて、ほとんど無限に徴募できるフランスの国民軍には、それまでの君主だちの軍隊では人数もかなわず、とても太刀打ちができなかった。

 
 
ナポレオンが死んだ7年後に西郷隆盛が生まれ、9年後に大久保利通が生れたという時間軸を考えれば、維新後に、新政府が平民による「国民皆兵」の軍隊で西南戦争を乗り切ったあとは、もう国民国家への脱皮でアジアの先頭を走り出すだけだったのではないでしょうか。

そして「国家」の二文字は、例えば雑誌『日本人』明治22年(1889)2月18日号に「国民とは国家旨義の上より云ふものにして」という使い方がなされたり、また徳富蘇峰の『吉田松陰』明治26年刊でも「封建武士の眼中に、日本なきは決して怪しむに足らず。(中略)彼らのいわゆる国家とは、一藩を意味するのみ」と、ごく自然に使われていて、これらはちょうど、明治22年の「大日本帝国憲法」発布と時期的にリンクしたものだったのでしょう。
 
 
で、岡田先生の「フランス革命」云々の指摘にしたがえば、ひょっとすると「ろうそく革命」を金科玉条とする文(ムン)政権は、思想的には北朝鮮よりもはるかに “危険な存在” になるのかもしれず、彼らはいま世界で いちばん過激な「修正主義集団」なのでは??… という風に、もっと厳しく動向を注視すべきなのかもしれません。!
 
 
我々日本人はもう国民国家が「空気」のような当たり前のものと感じているせいか、周囲の国々の難しい状況に対して、感覚がやや麻痺しているのかもしれませんが、岡田先生の『歴史とは何か』(※今回の引用箇所はすべて1997年の初出)には「中国」についての文章も色々と盛り込まれています。

――― それらはさすがに岡田先生で、大局観がきわだつ文章ばかりですので、最後にその一つだけでも引用して、今回の記事を終わりたいと思うのです。

(『歴史とは何か』より)

日本は十九世紀中に国民国家化を完成して、今日まで輝かしい成功を収め続けている。
一方、中国は百二十年もかかって、その間に辛亥革命と共産主義革命を経験しながら、いまだに国民国家化に失敗し続けている。
理由は明らかだ。言語も、歴史も、文化も、あまりに違いすぎる多数の種族が、あまりに広すぎる地域を占め、しかも同じ国民としてアイデンティファイするには人口の規模が大きすぎるからである。いわゆる「中国」が国民国家として成功するには条件が悪すぎる。
それでも中国の指導部は、国民国家への志向を捨てない。そのために、中国政府は、それぞれ独自の言語と歴史と文化を持つ住民をむりやり均質の国民に仕立てようとして、人権蹂躙(じゅうりん)を平気で犯す。
目の前に日本という、成功したモデルがあるからであり、また二十一世紀の世界には、国民国家以外の政治形態が見つからないからである。

 

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