コンクリート天守の永続化を決定づける「石垣部会」の徹底抗戦

【冒頭提言】
「日本式漢字語」をアジアの近代化遺産に「指定」してはどうか!!

人工生命M1号ならぬ「ムン1号」が暴走特急のスピードを上げてしまった。
→ → このまま突進すれば、8月には半導体工場の操業が減速し、韓国は近い将来(来年四月の選挙の前か後か)それこそ 戒厳令か? クーデターか? の重大局面を迎えることになるのでは……

 
そして「韓国社会では “日本隠し” がずっと行なわれていて、日韓の正しい意思疎通を阻害してきた」と語る、産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘さん。


(※ご覧の写真は産経ニュース様からの引用です)

――― いま世上では、韓国経済にさらに大打撃をあたえる「金融政策」の対抗策が、いくつか有識者から提起されてはいるものの、当ブログはあくまでも “文化面・精神面” にかぎってお話いたしますと、前回の記事では日本語由来の韓国語 「日本式漢字語」 の件を申し上げ、例えば映画「国家不渡りの日」국가부도의 날(クッカブドエ・ナル)は、タイトル中に二つも日本式漢字語が使われました。

国家 不渡り の 日
クッカ ブド エ ナル

こうした事例は、「字幕」原語版の現代ドラマを見ていれば、セリフの中に次から次へと連続して現れるものでありまして、もしもそれらが文(ムン)政権の「積弊清算(せきへいせいさん)」で使用不可! ! になったら、彼らはもう言いよどむばかりで、ふつうに意思疎通がはかれないほどの頻度(ひんど)です。

そこで申し上げてみたいのが、「積弊清算」に対しては、日本側はそうとう戦略的に対峙しなくては危ない、という意味合いも込めて、日本式漢字語(和製漢語)をアジアの近代化遺産に指定してはどうかと思うのですが、いかがでしょうか。

何故これが必要かと申しますと、戦後の韓国社会では “日本隠し” がずっと行なわれて来ていて、日韓の正しい意思疎通を阻害してきた “巨大な病巣” であるとの指摘が、上記写真の黒田勝弘さんから盛んになされていますし、明治時代の日本人の努力を顕彰(けんしょう)しつつ、そんな努力が、アジアおよび韓国社会の日常生活をも支えているのだ、という「現実」を彼らに直視してもらうためです。

大事なポイントは、こうしたことは日本政府が行なう国内措置にしておくのが肝要でしょうし、ねらいは韓国社会に蔓延(まんえん)する “日本隠し” を無くすための、日本側からのアプローチ(→ 韓国語での詳細なネット公開を通じて、当然おこるはずの反発報道も踏まえての社会常識への揺さぶり)である、という点を念押ししておきたく思います。
 
 
 
 
<コンクリート天守の永続化を決定づける「石垣部会」の徹底抗戦>
 
 
 

さてさて、前置きが長くなって恐縮ですが、ここからは城郭ファンの皆様が思わず首をかしげる “例の話題” に移りますと、名古屋城では今、下手をすると「コンクリート天守の永続化が(なし崩し的に)決まってしまう」という、思わぬ結末にもなりかねない紛糾状態が続いております。




(※以前に石垣部会の先生方は「木造天守を作るために何が必要かを我々は考えていない」と…)

閉館中の天守の取り壊し計画も(石垣の保全を理由に)ストップしたまま、という大騒動のあらましは、メ~テレ(名古屋テレビ放送)制作のテレメンタリー2019『金シャチの憂鬱 ~天守だけが城じゃない~』で分かりやすく紹介されていて参考になります。(※現在その番組は AbemaTV で視聴可能です)

そもそも私なんぞは、当ブログで申し上げて来たとおり、天守にとって「天守台」は「木造部分」よりも重要な位置を占めていたのかもしれず、少なくとも

 天守台+木造部分=天守

という方程式が成り立つはずで、天守台の無い天守の特殊事情についても触れて来ましたから、この番組に「~天守(木造部分)だけが城じゃない~」というサブタイトルが付いてしまうこと自体に、まったくもって不本意!なのですが、これは天守イコール城 だと思う一般視聴者を対象にせざるをえないTV業界の事情にかんがみて、このままお話を進めます。

 
――― で、問題の天守台石垣の「はらみ」=崩落の兆候である石垣の一部がふくらむ変形は、私なんぞが初めて見た40年近く前からそんな感じはありましたし、石垣部会の先生方が主張される「歴史的に貴重な石垣の保全」は当然のことですが、ご承知のごとく名古屋城天守は、江戸中期の宝暦2年(→ 約270年前)にも、沈下による大天守の傾きを直す大修理が行なわれた際に、天守台石垣の北面・西面の大半が積み直されました。

その時は創建以来の木造天守のメリット?を活かして、木造部分の傾きを引っ張り直して固定しつつ、石垣を突貫工事で積み直す、というアクロバティックな作業が行なわれたようですが、上記番組『金シャチの憂鬱 ~天守だけが城じゃない~』が修復作業の参考にしたのは、現在進行中の馬出し曲輪の工事でした。

本丸搦手馬出の「はらみ」修復工事は、ご覧の石垣解体だけで15年かかった…

本丸東側の「本丸搦手(からめて)馬出」は、2004年に始まった、約4000個の石を “一つ 一つ 確認しながら” 取りはずす解体工事が終わるところで、最終的な修復の完了がいつになるかは「目途すら立っていない」と言いますから大変な状態です。

が、それでも「石垣部会」の宮武正登先生は、搦手馬出の積み直しについて ”これだけの規模で、高い技術の石垣を、江戸時代の設計図や工事実績に合わせて復元するのは珍しいと評価された” そうですから、天守台の場合は、さらに懇切丁寧(こんせつていねい)な修復が行なわれるのでしょう。

――― しかし、しかし、天守台石垣の修復工事をイメージする場合に、そこに「コンクリート天守が建っている」という決定的な条件を踏まえますと、本当に参考にすべきは、熊本城の小天守なのではないでしょうか?

【ご参考】復旧工事中の熊本城小天守(今年2月)
→ → 言わばコンクリート天守の「化けの皮」がはがれた状態があらわになった。
下三分の一は、かつては小天守の「石垣」があった部分である!!

こんな状態が、来たる名古屋城天守においては、この先20年~30年も続くのだとしたら、
もはや「木造再建」の話など、立ち消えになるのは 必至のはず………

!! 長期にわたる積み直し作業が、名古屋市民にあたえる「心象」を想像してみますと、一言で言って「もうええ」…早く終わってくれ。という気分が市政全体をおおってしまい、もうそれ以上の「気力」が出て来ないのではないでしょうか。

巨大な名古屋城天守台の場合、修復完了が仮に今から25年後、2045年頃という年を想定しますと、名古屋市長の河村たかしさんは、たとえ存命だとしても、とても社会の第一線に立てるような年齢ではないでしょうし、また本丸御殿の復元事業を起こした旧名古屋城文化フォーラムの設立者・夢童由里子さんはすでに故人ですので、その時、いったい誰が「木造再建」などという特大のリスクを背負えるのか? 見物(みもの)だと言うしかありません。
 
 
したがって石垣部会の先生方の「徹底抗戦」というのは、江戸中期に積み替えられた天守台石垣が、歴史的な状態のまま保全されるという意味では、たいへんに貴重な戦いなのだと思います。

ですが、その結果、おそらくは「コンクリート天守の永続化」がなし崩し的に決まってしまうのだろう… という点では、コンクリート天守の「害悪」を言い続けてきた私としては、とても、賛同することが出来ません。
 
 
もうちょっと違った「第三の取り組み方」があるでしょう、という気がしてなりませんで、そこで最後に、ちょっと逆説的な写真をお目にかけながら、我が国の城の運命(=コンクリート天守の行く末)を思い描いてみたいのです。

お目にかけたいのは、私が以前に入手した『日本城郭全集』1960年刊(=昭和35年刊、私の生まれた年)という全集でありまして、これは各巻の半分がモノクロのグラビア写真で、言わば当時の城の風景をまとめた城郭写真集とも言えるような本です。

時期的には昭和の高度経済成長が始まった頃の写真ですが、写っている風景は、今とは隔世の感があります。

… 島原城(石垣上は外観復元された当時の西三重櫓)…


… 唐津城 …


… 中津城 …


… 今治城 …


… 江戸城(東京湾)の台場 …


… 会津若松城の天守台 …

!!――― これらはわずか60年前の “現代の写真” のはずなのに、まるで幕末の古写真と変わらぬ風情をかもし出していて、タイムマシンと言うべきか、時間凍結の魔法と言うべきか、まことに意外な風景が記録されています。

そしてこの時期から、全国各地で続々とコンクリート天守が建ち始めたのであって、それまではご覧のとおり、地域の中心地の近世城郭であっても、現存十二天守以外の城は、中世の山城さながらの、うっそうとした木々や水堀に囲まれた古城ばかりであったと言えます。
 
 
ですから我が国の「城」は、たった60年間で(地域振興のために)激変したわけで、これは明治維新での激変につぐ規模でしょうが、さらにこの先を予測するなら、絶対に考えておかなければならないテーマが、地域の人口減少がもたらす <<自治体消滅>> という不可避の危機でありまして、このことがまた「城」の風景に大きく関わって来そうなのです。

その時には、全国に広まったコンクリート天守は、かなりドラスティックな措置を受け入れざるをえないのではないでしょうか。
 
 
以上のことがらを踏まえて、今回の記事で申し上げたい私の「結論」とは、今世紀の半ばに、ふたたび名古屋市民の <<必死のやる気>> を奮(ふる)い立たせるための「第一段階」として、こんな状態を目指すべきではないのかと思うのですが、いかがでしょう。

【当ブログの「目指す第一段階」案イラスト 喜ぶ市民と関係者ら…】

 2045年、戦後100年の年にようやく天守台の積み直し工事が完了!!
 ……… 言わば「退路を断つ」コロンブスの決断です。


 

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