レプリカ再論―擬態建築が横行する中国を横目に見ながら

レプリカ再論――擬態(ぎたい)建築が横行する中国を横目に見ながら

名古屋城天守の現況については、ひとまず、中日新聞の「解体の是非判明は最短で9月、名古屋城木造化」の全文を引用いたしますと…

2019年7月19日 23時58分
 名古屋城天守の木造復元事業で、名古屋市は19日、文化庁の文化審議会で継続審議となっているコンクリート製現天守の解体申請が同日の会合では議題とならなかったことを明らかにした。会合は毎月開かれるが8月はお盆で休むため、審議結果が出るのは最短で9月に持ち越される。
 文化審議会はこれまでの審議過程で、解体工事による石垣など遺構への影響を確認するための発掘調査を市に促している。市の有識者会議「石垣部会」が解体工事を懸念し、発掘調査の実施を求めているためだ。
 調査をして遺構への影響を評価し、石垣部会の了承が得られれば、解体が許可される可能性が高まるとみられるため、市は調査の範囲や期間を検討している。
 調査や石垣部会との意見調整には一定期間を要し、復元事業自体の許可も得られていないため、市は2022年末を予定していた工期の延期も含めた見直しを施工業者の竹中工務店と協議する方針。

 
 
という状態だそうで、この間、名古屋ネタライターの大竹敏之さんという方が、石垣部会の構成員でもある千田嘉博先生に、色々とインタビューをしていて、その中で千田先生は「木造天守はあくまでも “原寸大レプリカ” です。“史跡の国宝”=本物である石垣の保全と安全対策は城跡整備で最も優先順位が高く、これを破壊してレプリカをつくるという考え方は、史跡整備の原則から大きく逸脱しています」とお答えになり、そのうえで「天守を木造で復元する理論的な説明ができていない」とも重ねておっしゃいました。

そんな発言の中で、とりわけ「レプリカ」の件は、当ブログも度々取り上げて来たテーマですので、先生の予想外の「レプリカ」発言に対して、私なんぞはやや過敏に反応してしまい、この際は「レプリカ再論」として一言、申し上げてみたくなりました。
 
 
で、思いますに「コンクリート天守」問題の本質とは、それが “原寸大レプリカ” にさえなっていない「擬態(ぎたい)建築」であることで、言わば、外観だけそっくりに似せて生き残ろうとする “カメレオン同然の” 存在だという問題意識が欠かせないでしょうし、それはある種、アジア人特有の “病癖” に由来するものかもしれず、断じて、見過ごしてはならない重大事だと感じるからです。
 

【詳細は後述】 “偽パリ” として有名な中国のゴーストタウン「広廈天都城」

(※海外の反応 → ABCニュース「中国の偽物都市~不気味なレプリカ」

※          ※          ※
 
【そこで一つ、たとえ話を…】

日本人の超絶技巧を見せつける「食品サンプル」ナポリタン

(※ご覧の写真は食品サンプルの株式会社 畑中 様のHPからの引用です)
 

常盤山文庫蔵 重要文化財「根来輪花天目盆」ねごろりんかてんもくぼん
木胎漆塗 室町時代 享徳4年(1455年)


(※ご覧の写真は公益財団法人 常盤山文庫様のHPからの引用です)

そこで【たとえ話】を一つ申し上げてみたいのですが、写真の食品サンプルは、テレビ等でも色々紹介された所沢市の株式会社畑中様の商品であり、同社は超絶技巧を活かした食べ物モチーフのアクセサリー(モンブランタルトのネックレス 5,800円など)でも人気の会社です。

一方、公益財団法人・常盤山文庫様が収蔵する重要文化財の「根来輪花天目盆」は、室町時代に寺院での茶の湯において、瀬戸天目などの天目茶碗をのせた「天目盆」であり、これも口径44.6-50.0cmと大きなもので、華やかな輪花でふちどられ、朱漆のなかに黒漆がうっすらと見える根来塗りの逸品です。

かくして「食品サンプルのナポリタン」と「重要文化財の天目盆」とは、本来ならば、絶対に出会うはずのない両者でありますが、例えば…

!――― 私なんぞは、こんな風に、二つの画像を上下に並べるだけで精一杯の、冷や汗ダラダラの状態で、決して両者を直にダブらせる「合成」など! ! とても、とても、恐ろしくて出来かねますが、【たとえ話】で申せば、現在の名古屋城天守というのは、そんな冷や汗「行為」を毎日、毎日、やり続けている存在なのではないでしょうか?

どちらの格が上とか下とかではなくて、そもそも出会うはずの無い両者を合体させて(≒食品サンプルと重要文化財を合体させて)平然と展示できる「神経」が分からない、と感じて来たわけですが、この先の状況を予想するなら、石垣部会の先生方が徹底抗戦で守ろうとしている「天守台石垣」の重要性が、社会的にひろく認知されればされるほど、この珍妙な「合体」は、どんどん気持ち悪く!見えて来るのは間違いありません。
 
 
 
<中身はまるで別物なのに、外観だけそっくりに似せて、平然と生き残る…
 まさにコンクリート天守は、カメレオンの擬態(ぎたい)と同じこと!?>

 
 

擬態(ぎたい)するエダハヘラオヤモリ Uroplatus phantasticus(マダガスカル)

超絶的な擬態の能力で「悪魔の使い」satanic leaf-tailed gecko とも呼ばれて来た。こういうものが海外で「悪魔的」とされるのは、我々が留意すべき問題を含んでいるはず…
 
 
さて、千田先生がインタビューで「天守を木造で復元する理論的な説明ができていない」とおっしゃいましたが、では、コンクリート天守が何故ダメなのか、私なんぞの価値観でズバリ申せば…

 コンクリート天守 = 擬態(ぎたい)建築

だからです。

<中身はまるで別なのに、外観だけそっくりに似せて、生き残る> というやり方は、まさにカメレオンの擬態(ぎたい)と同じでしょうし、世界の建築史上でもなかなか分類しにくい「コンクリート天守」というのは、近年、お隣りの大国で流行の「擬態建築」 Mimicry Architecture に分類しておくのが、いちばん適切なカテゴリーなのでしょう。

中国で横行する「擬態建築・模倣建築・偽造建築」は世界の嘲笑のまと! ! …
Mimicry Architecture/Copycat Architecture/Fake Chinese Architecture
一例:2017年に蘇州市に出現した中国版「タワーブリッジ」

(※海外の反応 → AFPニュース「相次ぐコピー建築に疑問の声、中国」

こういう状況(→ 偽物の万里の長城からスフィンクス、ホワイトハウス等が大量に増殖中)は、残念ながら我が国で申せば、“鹿鳴館~コンクリート天守症候群” とでも言うべきものかと思うのですが、当の中国人自身は「これは初の統一王朝・秦に始まる模倣文化だ」などと強弁してはいるものの、それも実のところは、最も奥地から勃興した「秦」が手っ取り早く「先進地と同等になる」ための手段だったようで、彼らが表面(外観)だけ似せて満足しているのは明らかです。

――― ですからこれは、自国の文化や建築について、本当の意味の自信を無くしてしまった時のアジア人がおちいる「病癖」のように思えてならず、そうであれば、これらは出来るだけ早く訂正・抹消(もしくは消化)すべき事柄であって、それこそが、自信を取り戻した世代の「時代の責務」であろうと思えてなりません。

そして蘇州市のコピー建築には、こんな物も…


1994年から開発のリゾート地・金鶏湖の島に建つ展望台「紫氤閣」

ご覧の展望台は、日本の天守を模した、との説明はいっさい無いものの、紫氤閣とは「紫の気は東から来た」という意味の命名なのだそうで、一帯を大規模開発した蘇州工業園区の日本語版HPには「金鶏湖周辺は市民や中外企業家など様々な人が消費、社交、娯楽レジャーの重要場所と蘇州市街地の “都市内の湖” と “都市の肺” となりつつある」そうで、どこかで聞いたようなお題目が付いています。

あーあ… とタメ息が出ますが、戦後の我が国も全国各地で同じような事をして来たわけで、まさに紫氤閣と「コンクリート天守」は同類であり、たとえ後者がかつてと同じ天守台の上に建っていたとしても、では、なぜ内部が資料館なのですか? という根本的な問いに対しては、「それが効率的だと思えたから…」という「同類の発想」しか持ち合わせていないのは明白です。

そしてそれらが「同類だ」という認識は、残念ながら訪日外国人の増加とともに国際的な広がりを見せ、日本の城は「ほとんどが鉄筋コンクリートのレプリカだ」という “直球の” 表現がネット上に散見されるようになりました。(→ 関連記事
 

【ご参考】1884年に焼失した清代の(=先代の)黄鶴楼

当ブログは7年前の記事で、現在の鉄筋コンクリート造の黄鶴楼こそ「コンクリート天守」にいちばん良く似た存在だろう、などと申し上げていて、好みは色々とございましょうが、私自身は写真の先代の黄鶴楼に、ある種の美しさを感じている一人でありまして、断然、中国人はこれを “原寸大レプリカ” でもいいから!愚直に、木造で、再建すべきだったと思っております。
 

【逆のご参考】世界遺産:オーギュスト・ペレの設計で復興した港町ル・アーヴル

第二次大戦においてイギリス空軍の爆撃で街が壊滅

戦後は古典主義の一貫した都市設計と、コンクリート建築の美で世界遺産に。
→ 写真中央も ペレ設計によるサン=ジョゼフ教会

 
 
【ご参考3】「擬態建築」と歴史的建造物の「内部の再利用」とは、全くの別物!
ドイツ・ライン川中流域のラインフェルス城 Rheinfels と城内ホテルの様子


さて、ここまでご覧いただいて、結局のところは、木造建築なのか、コンクリート建築なのか、石造建築のままなのか、いずれかをハッキリさせて、その世界での理想や美を「堅持」して行かないと、ろくなことになりませんし、ましてや都市の中心に擬態(ぎたい)建築など!もってのほか、という結論が見えて来たのではないでしょうか。
 
 
そこで最後に「用途」の観点から付け加えますと、名古屋城天守は <創建当初から内部はガランドウだった> という当然の歴史的事実があり、そうした内部を博物館や資料館にした方が「価値が上がる」と考えたのが、そもそもの間違いだったのですから、これからよみがえる天守の内部に「用途」を考えることじたいが、ナンセンスです。
→→ 言葉を代えれば、天守とは、資料館や展望台ではないのだ、という「価値観の戦い」にもなるわけで、そうなればますます「天守とは何だったのか」が問われる状況になるでしょう。
 
 
ならば何故、そんなものに巨費をつぎ込むのか、と申せば、まず、完成した ”超巨大な白木の神殿” に入った外国人の方々は、一瞬、解釈にとまどうと同時に、そこに「日本人の意志」を強烈に感じとるのではないでしょうか?

そして現代の日本社会の中で解りやすい説明の言葉をさがすなら、「尾張徳川家の統治のシンボルにはそれだけの巨費が必要だった」という風に翻訳(ほんやく)するしかないでしょうが、それだけに、そうしたものを再建するうえでは、
<< 擬態(ぎたい)ではない完全なるレプリカ=継承による再建に、我々は強い「自信」を持つべき >>
なのです。

そしてそのためには「材」の良し悪しにはこだわる必要(→ さながら超高価な木材の結晶体!)がありましょうが、再建される天守は「原寸大レプリカ」でまったく構わないのだ、と申し上げたく思いますし、要は、そんな美術品級の木造建築をこの先、百年、二百年、三百年と保全して行けるかどうかが「最高のジャッジメント」に化けていく、のではないでしょうか。
 

※当サイトはリンクフリーです。
※本日もご覧いただき、ありがとう御座いました。